『う』うまいもんのはなし
うまいもんを探してる。
SNS中毒の自分はやたらめったらSNSを開いてるんだけど、理由はうまいもんを探してるからだ。
タイムラインで他人の幸せに、いいねをするのも、人付き合いでは大切なんだけど、それよりもうまいもんに『いいね!』したい。
この前話題のパンケーキ屋に行った。
インスタかツイッターかで調べて話題になってたからすごく人が並んでた。
1時間くらいならんだかな。(うまいもんのためには時間は惜しまない)
やっと店内に通された。
焼き上がりの時間が決まってるらしい。さらに30分ほどの待て。犬ならもうヨダレで脱水症状でも起きてる。
期待に胸膨らまして、30分待って出てきたパンケーキ。
すごい。いわゆるインスタ映えってやつへの意識が店の社訓にあるんじゃないかくらい。
『ほっわんほっわん』の生地。
立ってるのもやっとな感じ。
自分のインスタ用の写真も撮りつつ(社訓に従う。郷に入れば郷に従えだ。)いざ実食。
口に入れる。
ん?
おかしい。
おい、、しい?のか?
おいしいのかこれは?
ホワンホワンだが生焼けな感じ。
甘くてとろけるけど何か物足りない。
生焼けのスフレの上澄みをすくって食べてるみたいだった。
ここで気づいた。
このパンケーキの人生、ならぬパン生は、写真を撮られた時点で終わっているのだ。
存在意義は食べられることではなく撮られること。周りの人々も写真を撮ってすごーい、美味しーいと口々に言っているがあんまり気持ちいい完食をしてる人は見ない。
みんな3口くらい残してる。
これはうまいもんとは違う。
うまそうなもんだ。
うまそうなもんがうまいと言われず、うまそうと言われて終わってしまう。
なんだか悲しい。
初めて食べた高級ホットケーキミックスで母さんが焼いてくれた、あのホットケーキ。
ちょっといい服を着て背伸びして行ったデパートで食べたお子様ランチ。
親父とのいつもの散歩コースにあったタクシー運転手だらけの定食屋のハムエッグ。
幼少期に食べたもんはインスタ映えは到底するようなもんじゃなかったけど、確かにうまいもんだった。
大人になってお金を持って、どこにでも行けて沢山のものをたべたけど、どこか満足いかない。その満足いかない気持ちを、インスタにアップした写真といいね、で埋めてる気がする。
便利な時代になったけど、たまには調べずに汚い定食屋にでも入ったら、写真を撮るのも忘れるほどうまい、レバニラ定食とかが出てくるのかも。
来週、友達とうまいもんを食べに静岡に行こうと思う。インスタに載せない旅になる事を期待してる。