『き』休日の話
GWだった。
9連休だった。
実は予定を決め決めにするのが苦手で、GWの予定も詰め詰めにしなかった。
9連休にしたけど、そのうち3日くらいしか予定を立てていない。
でも、9連休漏れることなく遊んだ。遊びまくった。疲れすぎて眠れなかったくらいだ。
そして、この9連休で遊びまくって理解したことがいくつかある。
それは友達に恵まれまくったことだ。
たとえ、予定を入れなくても今日ヒマな人といえば手が上がる地元。
バイトしていた時に出来たツテで知り合いが沢山いる町。
夜チャリ乗りたい、スケボしたいで集まってくれる高校の友達。
それに沢山の趣味にも恵まれたこともある。
スケボにチャリに買い物にご飯に、、、沢山ありすぎてあげきれない。
実は1日友達と話していて自分達の人生は他の人より楽しくて幸せなんじゃないかとなった。
真偽のほどは分からない(とゆーか比べる指標がないからね)けれども、そー思って過ごせる人生は多分幸せなものに違いない。
いつか甲本ヒロトが言った名言に
幸せになりたいんじゃない、幸せだと感じることの出来る心を手に入れたい
てのがあるけど、そんな感じ。
休日はもう終わるけど、そんな事を感じれたGWは楽しかった。
多分来年も、再来年も続く連休の度に、こんな事を思い出しながら生きていけるといいと思ってる。
そんな年に数回の思い出しチャンスを堪能出来るように明日の仕事も全力でやろうと思う。思うだけだけど。
『か』会社のはなし
会社に通っている。
通っていると書いて働いていると書かなかったのは働いてるってことが、今だによくわからないからだ。
社会人も2-3年目になると仕事とはについて語る奴がでてくる。
それ自体は大したことないけど、そこには少なからず感情が入るからこの手の話はめんどくさい。
『仕事ってのは〜』、『やりたい事とかあるの?』
正直どーでもいい。どーでもいいけど聞かなきゃいけない。
相手は真剣に話してる。悪く言ってしまえば自分に酔ってる。
仕事をしなきゃ食べていけないし、金を稼いでる奴は多分すごい。
でも自分の考えを押し付けるのは少し違う気がする。
俺は父親とあんまり仲良くない。
でもそんな親父を尊敬してる部分はある。
ある時、家族会議が開かれた。
親父が会社を辞めてきたらしい。
その時は確か小2.3くらいだったからどれだけのことか分からなかった。
ただ、食卓の質は明らかに下がっていったのは覚えてる。
親父は仕事の話を家庭に持ち出さなかったし、俺の将来に口を出したこともない。
どうなりたいか聞かれたこともないし、どうなれと言われたこともない。
そんな話が家庭で出なかったから今、仕事の話をされるのに耐性がないのかもしれない。
結果親父は(家庭が結局食べていけないので)仕事に戻った。親父なりに考えた結果なら文句もない。
そりゃまあオカズがもやししか出てかなかったらさすがに危機感かんじるか笑
なんやかんやで普通の生活もして、大学も出させてもらってるからそれを責めたことは一度もない。
むしろ、こんな風に考えて自分で、自分の中でけじめをつけて、仕事をしていた親父を働いてる今では確かにカッケェじゃんて思う。
話がそれた。
仕事について言えば
自分のルールで俺は仕事について真剣に語らない。仕事とはなんて死んだ時1%思い出せたらそれでいい。
だから自分を形成するものの1%が会社で他を全部で埋めたいって話。(飲み会で面白くない仕事の話を振らないで!てのも込めてる)
仕事は確かに大変で(あんま実感ないけど)、辞めたい時もあるかもだけど、考えも押し付けたくないし、怒りたくないし、ありがとうだけ言っていきたい。甘いかもだけど。
あ、でも先輩に仕事押し付けて帰って、次の日出来上がって返ってきてる書類を見てありがとうと感謝するのは、合ってるようで少しズレてるのか。
『お』お土産のはなし
お土産が好きだ。
ご当地のものを食べるのも、何の役に立つかわからないキーホルダーもすごい好きだ。
ご当地マリモッコリシリーズを狂ったように買ってた時期がある。
マリモッコリ自体何のキャラなのかイマイチわからないがすごく大切にしてた。
ご当地によって少し違う仕様になるマリマッコリは集めたい統一性と、一発で見た時の記憶の読み返しが両方行える。
話が逸れた。
お土産の種類は沢山ある。
ここでいう種類てのはお菓子とかキーホルダーとかの品物の種類じゃない。
遠くに旅行に行ったお土産や父親がちょっと珍しい町に飲みに行って寿司を包んでくるとかのお土産のカテゴリの話。
おれがその中でも好きなのは、親父がたまたま酔っ払って帰ってくるとき、何故か最寄駅で購入してくるコージーコーナーだ。
毎回同じものを買ってくる。
おれがチーズケーキが好きだと言えばチーズケーキしか買ってこないときもあった。(それが今はモンブランになってる。)
前のブログにもあげたように俺は話題のうまいものが好きでスイーツが好きだから多くの色んなスイーツ食べてきたけど、今だにこれを超えるものが見つからない。
しつこいほど甘くて、お世辞にもSNS映えするもんじゃない。探せばどこにでもある普通のケーキ。でもそこには価格以上の美味しさが存在してる。
先日、父親が入院した。
別に大した理由じゃないからすごく焦るとかは無かったけど、もういい歳だし、いつかはいなくなるて事が現実的に意識せざるを得なくなった。
親父が死んで、これからの店が見た目重視のパテシエが作ったケーキばかりになったら、あの味はもう味わえないと思うとなんか悲しい。
沢山写真も撮るし、おしゃれな店も行く。
だけど父親になった時、たとえ同世代の皆んながオシャレじゃなきゃケーキじゃないって言っても、酔っ払った足取りで甘ったるくてバリエーションが少ないケーキをお土産に家に帰ろうと思う。
そんでもって子供に、またチーズケーキかよ!て言われながら完食した皿を見て笑顔になりたい。
『え』絵のはなし
絵を描くことが少なくなった。
子供の頃はあんなに書いてたのに。アニメのキャラから空想の人まで。無我夢中で描き殴った。
ある程度うまかったはずなのに。
いま会社で絵を描いて説明しようとしても上手くいかない。
私生活でも同じでペンを持つことなんかほとんどない。
キーボードさえあれば後はコピペ。
子供から大人になるとき、あんなにあった描きたかったものがなくなってゆく。
スニーカーも服も、車もバイクも。
スーツ姿の自分やら何やら。
今描けといわれても多分絶対描けないもんばっかだな。
でも久しぶりに描いたものを思い出してみると、ぜんぶ欲しかった物や食べたかったもの、なりたかった自分だったのかも。
憧れや妄想で必死に想像して描いてたから凄く補正も入って立派に描いた。
大人になって絵を描けと言われても描けないのは、あの時なりたかったものや、欲しかったもの、ぜんぶ手に入れたからなのかも。
あの時想像して画用紙に殴り描いた自分や、手に入れたものは、画用紙の上程立派な物じゃないけど、絵を描いてないって事はそこそこ満足してんのかも。
たまには絵でも描いてみるかな。
上手く描けるか、描くものがあるのかわかんないけど、多分そこに描いたものは10年後には自分の隣にある気がするから。
『う』うまいもんのはなし
うまいもんを探してる。
SNS中毒の自分はやたらめったらSNSを開いてるんだけど、理由はうまいもんを探してるからだ。
タイムラインで他人の幸せに、いいねをするのも、人付き合いでは大切なんだけど、それよりもうまいもんに『いいね!』したい。
この前話題のパンケーキ屋に行った。
インスタかツイッターかで調べて話題になってたからすごく人が並んでた。
1時間くらいならんだかな。(うまいもんのためには時間は惜しまない)
やっと店内に通された。
焼き上がりの時間が決まってるらしい。さらに30分ほどの待て。犬ならもうヨダレで脱水症状でも起きてる。
期待に胸膨らまして、30分待って出てきたパンケーキ。
すごい。いわゆるインスタ映えってやつへの意識が店の社訓にあるんじゃないかくらい。
『ほっわんほっわん』の生地。
立ってるのもやっとな感じ。
自分のインスタ用の写真も撮りつつ(社訓に従う。郷に入れば郷に従えだ。)いざ実食。
口に入れる。
ん?
おかしい。
おい、、しい?のか?
おいしいのかこれは?
ホワンホワンだが生焼けな感じ。
甘くてとろけるけど何か物足りない。
生焼けのスフレの上澄みをすくって食べてるみたいだった。
ここで気づいた。
このパンケーキの人生、ならぬパン生は、写真を撮られた時点で終わっているのだ。
存在意義は食べられることではなく撮られること。周りの人々も写真を撮ってすごーい、美味しーいと口々に言っているがあんまり気持ちいい完食をしてる人は見ない。
みんな3口くらい残してる。
これはうまいもんとは違う。
うまそうなもんだ。
うまそうなもんがうまいと言われず、うまそうと言われて終わってしまう。
なんだか悲しい。
初めて食べた高級ホットケーキミックスで母さんが焼いてくれた、あのホットケーキ。
ちょっといい服を着て背伸びして行ったデパートで食べたお子様ランチ。
親父とのいつもの散歩コースにあったタクシー運転手だらけの定食屋のハムエッグ。
幼少期に食べたもんはインスタ映えは到底するようなもんじゃなかったけど、確かにうまいもんだった。
大人になってお金を持って、どこにでも行けて沢山のものをたべたけど、どこか満足いかない。その満足いかない気持ちを、インスタにアップした写真といいね、で埋めてる気がする。
便利な時代になったけど、たまには調べずに汚い定食屋にでも入ったら、写真を撮るのも忘れるほどうまい、レバニラ定食とかが出てくるのかも。
来週、友達とうまいもんを食べに静岡に行こうと思う。インスタに載せない旅になる事を期待してる。
『い』伊集院光のはなし
アイウエオ順で話を考えていくの、伊集院光の『のはなし』て本を参考にしてます。
この人が俺は昔から好きで。
中卒だけど博学で、いろんなことしてるし、面白い話は誰を傷つけもしない。
喋りだけで食べてくってのは本当にすげーんだなって思った。
まあそっからの派生で最近落語にハマってて、寄席に行って見たんだけど。
これが面白い。
多くの趣味や行楽が横行してて、家からアクセスできる便利な世の中だけど、未だに無くなってないのには確かに理由があるんだろうと思った。(これじゃ落語の話じゃんか)
伊集院光の話に戻るけど。
この人と、割と地元が近くて、エッセイなんかに載ってる風景は割と想像しやすくて共感できる。
今までの一番のエロは?て質問に
エロ本の付録のカセットテープ。て答えた話があって。
理由はそのカセットテープに入ってる背景の雑音の中に、自分の最寄り駅の構内アナウンスが入ってたんだと。そっから自分の近くでエロご行われてるって事に無性に興奮して、最寄り駅をチャリで爆走した。
たしかそんな話だったんだけど。
すげー気持ちわかるんだよなー。
めちゃくちゃキモいけど。
俺は好きな女の子の家の場所が判明した時に、どっか遊びに行くたび遠回りなんだけどそこ通っていくとか
好きな女の子好きなのマンガを風の噂を聞いて、全然面白くないって感じてるのに読破したりとか
そんなバカな幼少期すごしてたから。
有名人なのに同じこと思うんだなって。
すげーてなったの覚えてる
あ、これもまた好きな人と同じ気持ちを共有してウオォてなってんのとちょっと似てる。
俺はこんな感じの人間🧑
『あ』アンコの話
俺は特につぶあん派とか、こしあん派とか派閥に属してるわけではないんだけど。
このアンコ戦争に関してすごいこだわりが強い人多くないですか。
もちろん誰がどっちでも良いんだけど、それを強制して来るやつ。
たい焼きと言ったらから、あいすまんじゅうもこしあんにしろ!とかむちゃくちゃ言いますからね。
俺的には饅頭はそのアンコに合うように計算された生地ならそれが一番です。
ラーメンの麺の太さとか、蕎麦の出汁とか、目玉焼きにつけるもんとか文句言ってる奴に言いたい。
お前他の食べ方で食ったことないだけだろ?
(事実新しい食べ方で食わせて見て、次会った時にナチュラルにその食べ方に移行してた奴を知り合いでも俺は3人しってる)